1993年5月23日にリリースされた宮沢りえ6枚目のシングルCD「赤い花」。このB面曲が小室哲哉作曲、中澤城一作詞の「My Kick Heart」であった(同年6月発売のアルバム「ROSSE」にも収録)。
透明感ある歌声を引き立てる美しいメロディーとみずみずしい歌詞。素晴らしいバラード曲だと思う。
YouTubeのコメント欄で知ったのだが、この曲は当時中学生の少年が作詞したのだという。
小室さんがTwitterでこの曲の作詞者である中澤誠一さんについて触れていたのでコメントします。 この曲の詞は、当時発売されたいた月刊誌「ボンボン」内の「秋元作詞塾」で宮沢さんのシングルになる曲の詞を募集していました。 その時にグランプリになったのが、当時小学6年生だった中澤誠一さんが書いた「My Kick Heart」だったのです。 中澤さんは当時病魔に冒されており、入院中のベッドの上でこの詞を書き上げたそうです。 残念ながら彼は中学生のときに亡くなってしまいました。 当時はこの歌詞の意味がよくわからなかったのですが、事実を知ってからこの曲を聴くと涙が出てきました。 「フェンスの向こう飛び越すシューズが欲しい」「蹴り上げるボールには~」等のくだりを見ると、当時Jリーグが発足された時期でサッカーブームだったこともあり、サッカー選手に憧れていたのかもしれませんね。
「月刊誌『ボンボン』」と言われて一瞬分からなかったが少年漫画雑誌の「コミックボンボン」のこと。そこで今ではAKBプロデュースで有名な秋元康が読者を対象に作詞塾を開き実際販売される楽曲の作詞コンテストを開催していたと。
秋元康は当時のボンボンで原作担当として「OH!MYコンブ」の連載を持ってた。同時に雑誌内で「それいけ!少年作詞塾」というコーナーも企画担当していた。少年ジャンプでの堀井雄二的存在だったと言うべきか。オークションサイトで1991年から1993年までのボンボンの目次をチェックしてコーナーの存在を確認した。
そのコーナーのコンテスト優勝の賞が、実際に曲となってリリースされる権利だったと。宮沢りえの作詞募集だけでなく桜井幸子の作詞募集もあったらしい。
企画・監修:秋元康で思い出したけど、当時のコミックボンボンには秋元康の作詞家養成塾という自作の歌詞を投稿するコーナーがあった。
— ながいまる🍣 (@nagaimaru07) 2021年1月14日
最優秀作品には曲が付けられ宮沢りえに歌ってもらえるはずだったのが途中で突然桜井幸子に代わった記憶。
(蛇足だが僕は桜井幸子のほうが好きだった) https://t.co/sRchqobFFO
そして宮沢りえの作詞募集コンテストで優勝したのが当時小学6年生で闘病中だった少年だったと。YouTubeのコメントでは作曲の小室哲哉がTwitterで言及していたと書かれている。小室哲哉はTwitterアカウントを2018年に一旦完全削除していたので古いツイートはなかなか見つけられないが、1ツイートだけ言及したものが見つかった。
思い出します。
作詞家の男の子
まだ、中学生で亡くなったんですが、それまでに病院で書いた詩なんです。
RT
“@morino_koguma:宮沢りえさんにかかれた「My Kick Heart」をいつか、どこかで聴きたいなあと思います。
高校時代、この曲がきっかけで親友ができました。
思い出します。 作詞家の男の子 まだ、中学生で亡くなったんですが、それまでに病院で書いた詩なんで... - 小室哲哉の注目ツイート - ツイ速クオリティ!!【Twitter】
宮沢りえの楽曲はサブスク配信が全くされていないのだけど「My Kick Heart」は歌詞サイトにも掲載されていない稀有な曲だった。こういう事情があり未だに権利処理ができないからだろう。
当時の少年誌を通じた一般募集はキン肉マンの超人でもロックマンのボスキャラでも宮沢りえや桜井幸子の作詞でも夢があるものばかりであった。